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熊谷守一のこと1

美術館館長・熊谷 榧

明治維新たかだか10余年後に、木曽の片田舎で生まれた守一は、岐阜市の町の小学生のとき、先生の教える楠木正成の忠義話が、明治になって為政者が急に持ち出してきた話だと思ったという。先生の話より教室の窓から舞い落ちる木の葉を眺めていては、始終立たされていたそうだ。それでも運動会の騎馬戦の一方の旗頭になったとき、負けそうになると校長が市長の息子という遠慮からか、終了の呼子を吹いたとのこと。

息子を商人に仕立てようとしていた父親の大反対を押して東京美術学校に入り、20世紀の開始を祝って、みんなで肌色パンツをはいて御輿をかつぎ気勢をあげたという。在学中父の急死と破産にあい、卒業したとき日露戦争だったので、樺太漁場調査隊にやとわれる。小舟で海岸線を回ったとき、1日の食いぶちをとると網もそのまま砂浜にじっと坐っているアイヌの人たちに魅せられたという。

守一は自分でも言っているように、いい絵を描いて褒められようとも有名になろうとも思わず、たまに描いた絵も売れず、長いこと千駄木や東中野の借家を転々として友人の援助で生きながらえてきた。1932年いま美術館になっている豊島区の千早に越して来た頃から、ぽつぽつ絵が売れて家族を養えるようになる。

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油絵 熊谷守一 自画像

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